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上杉謙信さんカッコイイ!新潟の誇りですわ。神様仏様謙信様
ははは
新潟県人がうらやましいです。自分も謙信公の大ファンですが福岡にはパっとしたのがいない?謙信公の采配はとにかく美しい!中世の兵法の極地です。近代戦法の信長みたくガサツでない。
@@恒雄早麻俺らには宗茂がいるじゃないか!
謙信の恐るべきはその機動力。まさに神速。普通小田原から一足飛びに川中島とか無理だから・・・
謙信の情報統制は異常なほど。軒猿を使い、絶対に漏れないように徹底してた。戦場での怪しい人間は殺しまくる。そのため柴田軍は、偵察をことごとく殺されて、謙信がどこにいるのか、全く情報をつかんでいなかった。まさに謙信は第4次川中島の戦いでも徹底的に戦場での情報統制を敷いて、妻女山を下山後、居場所を信玄に気取られないようにしていたのと同じ。のちに本能寺の変を起こした明智光秀も本能寺への移動中、途中の怪しい百姓、村人は殺しまくっていた。あとは越後軍の機動力。と兵の強さ。おそらく、戦国史上、謙信率いる越後勢が一番強かったのではないだろうか。島津も強かったが。
逆にその機動力を利用したのが織田信長で秀吉が柴田勝家と衝突して手取川の陣から帰って来た時も信長は謹慎させるフリをして東北の情勢を秀吉に探らせ(竹中半兵衛の病に効く薬草を探させる名目)その結果伊達輝宗と同盟を結んで背後から上杉謙信を攻めさせて機動力によって彼を越後に帰還させてます。又信長は秀吉ルートで佐竹義重とも和睦して関東管領に反する北条氏政成敗を佐竹義重から上杉謙信に依頼させて上杉謙信の関心を対北条氏政に向けてます。
謙信も信玄もほんと凄い。
御実城様と謙信を呼んだりしてるの凄い嬉しい。大河の影響で御館様と呼ばれる事が多いが実際は躑躅ヶ崎館を本拠とする信玄と違い、春日山城を本拠とする謙信が実城と呼ばれるのは必定。ここを史実に合わせてくれたのは嬉しい
上杉謙信公が一番好きです。
上杉謙信「皆の者、我の背を見失うなよ」軍神格好良すぎだろ
かっこいい!
惚れちまう
鯰尾
動画のクオリティ、ストーリー性、キャラ設定どれも本当に素晴らしいです。どんどん面白くなっていて毎週楽しみです。こんなに作り込んでいて、よく続くな、と正直思います。感動です。ありがとうございます。
ありがとうございます。
財!在死亡給付するの洲増!3種とにスセシサス先!3台!しました✨座
上杉謙信とてもかっこよかったです!勉強になりました!✏️
謙信は嬉しすぎる!
こちらの動画の分かりやすさ、展開のドラマ性、クオリティ、どれをとっても素晴らしいの一言です。冗談抜きで学校の分かりにくい教科書より、こちらの動画を教育に取り入れた方がよっぽど子供の為になると思います。『毘沙門天が我に降りたり!皆の者、我の背を見失うなよ!全軍突撃じゃ!』こんな格好いいセリフ聞いたら、兵の士気も上がるに決まってます。戦術、戦略も超一流でセリフも超一流、軍神と呼ばれるわけですね。上杉謙信、涙が出る格好良さ!
信玄、謙信、秀吉、家康などの行末を見るに、いくさに強いのも大事だが「健康で長寿」こそ戦国大名にとって最も重要だな
その通りだと思います。信長が信玄や謙信と極力決戦をを避けていたのはビビっていたわけではなく田舎大名同足引っ張り合いしている間に寿命で死ぬからリスクを負って決戦する必要がなかっただけ。信玄は病気持ちだったし。謙信は近畿よりも関東だったし。
@@soleil-rk2bi 信長は、謙信にはびびってましたし、屏風を送ってご機嫌を取っていましたよ。戦で強かったのは、圧倒的に謙信でしたからね。あと、謙信は天下統一する意思はなかったと思います。謙信の目的は、第一に越後を守ることでしたから、越後と隣接する可能性のある武田や織田と戦って撃退しただけです。手取川の戦いの後に謙信は急死し、織田は越後まで攻めようとしましたが、魚津城の戦いで上杉が激闘して、最後に本能寺の変がおきて信長が死んだので織田軍は撤退していき、上杉家と越後を守ることができました。上杉家は、江戸時代も続き、上杉鷹山が有名です。信長亡き後の織田家は、嫡男の信忠も亡くなり、ずいぶん寂しくなりましたね。秀吉から指示される立場になりましたから。
@@soleil-rk2bi 信長は信玄と謙信を恐れてましたよ。徳川は織田より更に信玄を恐れてましたけど…。まぁ信長にとって謙信と信玄が共闘しなかった事、共に寿命が早く尽きた事は何より幸運だったでしょう。第1次包囲網の際に謙信が織田領に攻め込んで、信玄の死が後5年遅ければ織田の領土がそのまま武田上杉の領土となっていたくらいでしょう。
家康は3人とは違うと思います!長生きしたのご存知ですか?
@@九条菊華さん対信玄には無策で散々な目に遭った信長も対謙信には用意周到で佐竹義重や伊達輝宗と同盟を結んで北条氏政や武田勝頼、上杉謙信を牽制する「信長包囲網包囲網」を敷いてます。ちなみに対毛利家には明智光秀経由で長宗我部氏と同盟し、宣教師経由で大友宗麟とも誼を通じてます。実際伊達輝宗は手取川での上杉謙信軍勝利の翌日に越後へ進軍を開始、佐竹義重は上杉謙信に北条氏政の横暴を訴えて関東管領として全軍で叩いて貰うように要請して上杉謙信軍撤退に貢献してます。
謙信は常に8000人位の兵力で北条や武田、一向宗って自分の倍以上の兵力相手にしてましたから織田軍でも特に恐ろしい相手ではないどころか大軍で少数を潰す織田軍はやりやすい相手かもしれませんね。
特に北陸方面は信玄と義兄弟の顕如が本願寺宗主(1554~92)になってから永禄3年(1560)以降北陸一向一揆と武田が手を組み謙信の上洛阻止をしたのが謙信にとっては不幸でした。武田勝頼が衰退し、北陸に信長が進出した事により顕如は1576年に上杉謙信と同盟を結んだのは良かったと思います。
全て一向宗、上杉の動きは遅い。その遅さは全て中世室町思考から来る時代遅れにあったのだろう。
@@吉田昇-q3f 元々長尾時代は越中方面に出兵してたけど武田と一向一揆が組んで西進は困難と見たのも関東管領就任受けた一因だったのかねぇ
taka zaki様へ。ご返信ありがとうございます。北条氏康が顕如を介して加賀一向一揆との連携を呼びかけているのが、永禄3年(1560)7月、武田信玄が顕如を介して越中一向一揆にとの連携を呼びかけているのが同年10月ですから、武田信玄が加賀越中一向一揆勢と正式に連携を組んだのはこの頃からですね。北条・武田両氏は顕如に承諾を得て加賀越中一揆が上杉と対立する越中の神保長職(謙信は当時松倉城主の椎名康胤を支援)を支援するように要請した訳です。謙信は永禄2年(1559)4月から8月の2回目の京都上洛で将軍足利義輝から関東管領就任の問題を上杉憲政とよく相談するようにと許可をもらいました。また信濃国諸侍に対する意見をもらったのです。これを受けて、同年10月から11月に上杉氏の越後国内の国人(家臣)や上杉氏信濃国人衆の高梨氏・村上氏だけでなく武田信濃国人衆の真田・市川・仁科・室賀・望月・根津・清野・屋代等の人間が謙信に対して祝儀の太刀を春日山までは持ってきました。さらに永禄3年(1560)3月15日には関東の千葉氏や結城氏や正木氏等の多くの国人衆が謙信に祝儀の太刀を持ってきました。これは謙信は次期関東管領就任の為の祝儀の太刀だったと思われます。なので、同年3月30日に神保長職が武田信玄とよしみを通じ上杉謙信の支援する椎名康胤との戦が始まり謙信は椎名氏を救援して神保氏に勝利をします。そして同年5月19日に桶狭間の戦いで武田北条両氏と同盟を組む今川義元が織田信長に敗死するという衝撃的な出来事があり、武田北条今川の三国同盟はゆらぎます。謙信は安房国の里見氏から救援要請をうけ、同年8月下旬から北条氏康討伐の10か月に及ぶ関東遠征にでます。要するに次期関東管領の上杉謙信に対して上杉氏の越後国内の家臣や信濃衆家臣だけでなく、武田氏の信濃衆家臣や関東の国人衆までもが関東管領就任への祝儀の太刀を持って来てるわけですから格式的に信玄や氏康より一段上になりましたし、あわよくば信濃国や関東地方の中央までその権威と武力を持って謙信が圧倒するわけです。なので、武田信玄は使僧の長延寺実了を派遣してそうさせないために同盟者の北条氏康を巻き込んで顕如を介して越中加賀一向一揆との連携を強化して北陸方面から謙信を牽制したのです。それが永禄3年(1560)10月でした。謙信が正式に関東管領に就任したのは永禄4年(1561)3月です。当初は関東管領の権威と古河公方の足利藤氏と関白・近衛前久を古河に置き睨みをきかせて関東平定しようとしました。将軍義輝の承諾により謙信は関東管領職についたのです。武田氏が北陸一向一揆と連携したのは謙信の関東信濃平定と上洛を阻止するため北陸方面からも謙信を牽制しようとして身動きをとれなくした体制をつくりあげたのでした。
@@吉田昇-q3f なるほど してみると謙信が成田氏相手に「何馬上から礼してるの?ナメてんの?(意訳)」やらかしたのは武田北条からしたら「何やってんの長尾www(信玄は終生謙信を長尾呼びしてたという話あり)」と失笑モノだったのかもプライド高い謙信だけに色々と引っ込みがつかなくなったところはあったかもしれませんね
流石上杉謙信、これこそが上杉の戦!柴田は秀吉を手元に残してればここまで手痛い負けはしなくてすんだものを…
謙信、あと少し生きてたらなぁ信玄、あと少し生きてたらなぁ信長、あと少し生きてたらなぁ
同感です。
ワシあと少し生きてたらなぁ
@@user-yt2dw6l 悲しきかな
秀吉、ブラック経営者の跡目乗っ取ったけど、もうだいぶ疲れた、戦争!貴族!黄金!花見!戦争!淀君!ムハー淀君かわいいよムハー、戦争!朝廷!花見!よどぎ家康、鷹狩、一汁一菜、漢方ペロペロ、鷹狩、一汁一菜、漢方ペロペロ
aa MM←これが漫画の誇張された戦国時代しか知らない日本人です
上杉謙信強すぎるわ
最強
正に軍神!謙信強すぎ。
それでも俺は親父様 柴田権六勝家が大好きだっ!!毎回ありがとうございますっ!!
信長の死後、柴田と秀吉が対決したとき柴田配下の前田利家が秀吉側に寝返り戦の最中にもかかわらず勝手に撤退してしまうことで柴田軍は総崩れになってしまう。勝家は敗れて北の庄に落ち延びる途中、前田利家の城に立ち寄るのだが、恨み言など一切言わず、「これからは秀吉のもとで頑張れ」と言って去っていったそうだ。
歴史系RUclipsで一番面白いしわかりやすい。これからも楽しみにしています。
ここでの兵力差は長篠の戦いのそれに近いんだよな。これだけの差があっても上杉軍は織田軍に勝ったし、同じような事を勝頼も狙っていたんだろうと思う。
長篠の戦では長篠城救援隊(酒井忠次隊)の動静をつかんでいない等、勝頼は戦場のコントロールに失敗しています。それに対して手取川の謙信は一向宗との連携など情報、地の利などを完全に掌握したうえで寡兵ながらも勝てると判断して勝負に出ていますね。七尾城内の内紛も謙信と取引できるという信用があって調略に成功している。謙信と言えば戦術ばかりが評価されがちですが戦略もしっかりしている。
とてもわかりやすくて良い動画です。エンデイングのbgmも素敵ですね、激動する時代の中に消えて行った人々への哀愁の想いが込みあげてきます。
織田四天王がこれだけ揃っていても、謙信には無問題だもん、凄いわ…
謙信は人間離れし過ぎですよね...
謙信に限っては戦は数が全てじゃないと思うわまるで項羽の生まれ変わりだな
軍神ヤベえ
上杉謙信の戦闘能力も凄いですが、そこに至るまでの諜略と情報戦と準備周到なところも凄いところだと思います。歴史にもしは禁句ですが、秀吉が織田軍の総大将ならどうだったのかと想像したくなりますね!
@織田大和守敏定 手取川の戦いに関する、下間頼廉の書状が残っています。
秀吉・勝家の意見の対立がめちゃくちゃ分かりやすく描かれていて、さすがユキムラさんです。しかも説明的でなくて話としても 面白く展開しているので、見入ってしまいます。ぶっちゃけ某番組より面白い…それにしても、信長家臣団に亀裂が入っていくのがたまらなく辛い。これも戦国の世の倣いか…信長様が総大将だったら、また違った結果になったのかなぁ
謙信もあと10年長生きしてたら歴史は変わったんだろうな、っていう重要人物やな
酒と高血圧が悪かったか、、、
確か💩プリプリしてる最中に死んだんだっけ?
@@森-c9p 婦人病が死因とする資料もあって謙信女性説に一役買っている
関東平らげられないくらいじゃ地方の一戦国大名止まり。謙信が長生きしても歴史は変わらないと思う。
@@touasuppix9880わろた。上杉謙信は領土に興味はなかった。戦なら武田と同様最強。寿命が強かったのは家康かぁ😂😂
それにしても、武田信玄、上杉謙信という二大巨頭が相次いで倒れるという織田信長の運の強さ。しかし、三度目の正直はありませんでした。
長連龍さんって地味やけど凄く優秀な武将らしいですよね。後に前田家の家老になってるみたいですし。
前田利家が、信頼できる武将として名を挙げていたそうです。
手取川の戦いありがとうございました!とってもわかりやすく、勉強になりました!ありがとうございました!いつも楽しく見させてもらってます!
やはり鬼より竜のほうがもっと恐ろしい存在。
というか、魔王から変身する竜もいますからね。ラスボス最終形態みたいな。
いつもワクワクする動画ありがとうございます😆
素晴らしいありがとうございました。
謙信は戦国最強な感じかな北条まで進軍するは、柴田は蹴散らすわ、大将の力も大事やね
僕は織田かな
@@地獄の番人の死神 信長は負けない勝負を作るのがうまかったんだよね、桶狭間以外の戦は博打を打つようなことはしなかったらしい謙信は勝てない勝負も勝てるような軍略を持ってたと思うから大名としては信長の方が優秀だけど軍の大将としては謙信の方が優秀かなって思う
@@ブラックジャック髙橋 僕も同感です。ですが、運も実力のうちという言葉を考えると信長はかなり強運という実力を持ってますよね。最後は尽きた感がありますが。
直江兼続が、露骨に妻夫木聡で草
直江信綱も天地人からでしたね!
@@トリエモンズ そうですね
機械音声と静止画だけでここまでドラマチックな物語作れる構成力は凄い
七尾城を三ヶ月で落とせなかったのではなく、織田との決戦を望む謙信があえて墜とさずに難攻不落のイメージを織田信長に植え付けたという策だったそうです。手取川を越えて数日で七尾城を落としています。
成る程、織田軍は七尾城健在と思い込み手取川を超えたが、その直後落城を知り慌てて引き返す所を上杉軍に背後をつかれ、大雨で増水した手取川に飲みこまれた。織田軍の鉄砲も雨で機能せず😢一抜けで逃げた秀吉は賢い。
後の天下人秀吉、本能的に勝ち目がないと感じていたのか。謙信以外の敵ならば、攻め登ったことでしょう。戦国最強武将、上杉謙信恐るべし!
手取川の戦前に、柴田勝家と喧嘩して軍を引いたのは、本当は謙信が怖かったからでないの?
完璧な動画ですし感謝です!いつもありがとうございます、そしてお疲れ様です
織田家の戦いは面白い!来週も楽しみにしています!!
構図としては長篠の戦いのようだけどけっして武田勝頼のようにはならないのが謙信、さすがです、胸がすくわれる。
軍神謙信が、早い時期に北陸を攻上れていれば、織田はとうに亡んだ可能性もある。そう思うと、信玄と謙信という戦国最大の実力者同士が互いに牽制し合い天命が尽きたというのは、まさに運命の皮肉としか思えない。
でも本能寺の変なければ、ほぼ確実に上杉は滅亡してたから、色々な事がその時代に各地であればこそ歴史は面白いのだ!
彼は義の戦士だからね。領土を広げる欲があれば関東、北陸等全て滅ぼされてたかも。
@@武田信玄-f9m 某氏が新潟の講演会にて曰く、武田信玄こそは戦国最強の武将、何故なら、軍神上杉謙信とガチ勝負出来たから
@@aamm11111 武田の幹部が多数戦死した八幡原の決戦で上杉軍の数がもっと多ければ壊滅してた可能性もあるね。それほど謙信軍は強い。謙信が加賀に進行時、もはや当時敵無し状態の信長が慌てて秀吉ら幹部連中を北陸に集結させたほどだからねw
@@武田信玄-f9m 集めた精鋭の幹部連中が仲違いして士気崩壊するあたりSLGにはない部分だよね
上杉謙信惜しい漢よの…。
謙信の凄さは、勝機とみるや素早い進軍で相手本軍を一気に攻撃し撃滅することにある。そのため、充分に訓練された1.5万程度の謙信直轄軍を常用した。関東での戦でもいくつかそのような場面があった。川中島もそうでしたね。ただ、武田軍は織田軍と違い、有力武将を討ち取られてもその場にとどまる頑強さがあった。織田軍は、瞬時に粉砕されて一斉に逃げ帰っている。また、謙信は諜報作戦を重要視している。敵軍の動きを素早く察知し、さらに敵諜報網を破壊する役目を担っていたと思われる。
今週も楽しませていただきました。
上杉謙信は新潟県の誇りです✨
今度、春日山城跡に行こうと思います。
僕も大好きです。義がありますよね。
利の時代に、弱気ものを守るため、正義の為に生涯戦い続けた彼は新潟県、日本の誇りです。
富山には独立した大名もいない上、上杉、織田の草刈り場だから何か羨ましいな富山県人より
@@紀墓林 神保長織「解せぬ」
私は長家筆頭家老を務め、長連龍様に随伴し織田家に救援を求めにいった者の末裔です。大変ためになる映像、ありがたいことです
三方原信長「攻めるなよ?攻めるなよ!」家康「おうっ!」手取川信長「攻めるなよ?攻めるなよ!」勝家「おうっ!」一向宗本願寺信長「攻めるなよ?攻めるなよ!」信盛「おうっ!」↓ほんとに攻めずに10年経過。これを叱責され追放。なお、言い付けを守らなかった家康、勝家はお咎めなし。
(´Д`;) 信長様の配下の衆はあれやこれやと大変じゃ。。。。
おぐらいやさすがに10年は草しかも謙信や信玄と違って怨敵本願寺に限って。
@@話ズ ネタとしてコメントしましたが、貴方が指摘されたように、信長の意を汲み取れなかったのがダメでしたね。元々、本願寺攻めは一向宗本山である本願寺には10万余の信者がおり、戦える者が5万はいたようです。なので、信長自身も無理に攻めず補給路を断つ兵糧攻めにしました。その為、本願寺降伏には5〜6年は必要だと考えておりました。ただ、色々と事情が変わるわけです。毛利、宇喜田、松永、一向宗、上杉の第二次信長包囲網の結成↓毛利が大阪湾から補給を行う↓九鬼水軍が毛利(村上)水軍を撃ちに向かうも惨敗↓丹羽長秀等が鉄鋼船の造船に着手↓再び九鬼水軍が向かい、毛利水軍を潰す↓補給を絶ち、また、秀吉が宇喜田の調略に成功する。そして、姫路に移り毛利を牽制。↓本願寺は完全に後ろ楯を失い降伏つまり、佐久間信盛は本願寺攻めの最前線にはいたけど、何をしたの?って話です。10年の間、ただ寺を囲ってただけ。信長「そういえば、昔は信行の謀反に加担したな〜…朝倉の一乗谷追撃を見逃したな〜…」と、色々と追加の責めを受けて追放でした。柴田は確かに手取川で惨敗しましたが、加賀一揆を上手く潰していました。意図がある失敗は弁明の余地を与えるが、無為に時間を浪費することは信長の意ではなかったのでしょう。まあ、信盛は信盛で安土城の建築もなり、右大臣になろうとする信長の威光があれば降伏するしかない。何か手を打つ必要はないと考えていたようですが、、
今回も楽しかったです。みていてワクワクする構成、音楽の使い方、面白かったです。Goodボタンポチりました。
素晴らしいリクエストした甲斐があった
信玄の謙信に対する評価「太刀においては日本無双の名大将」この戦いで証明されたと思う。
鬼柴田も大したことないのぅ、、、なんて軍神様しか言葉にできない一言で笑った
軍神謙信公、恐るべし…
本当に面白いです!
この頃信長は『荒木村重』・『松永久秀』・『阿波野兄弟』・『別所長治』といった一時は信長に従っていた武将たちと対峙していましたからね。その間には第一次木津川口の戦い・信貴山城の戦い・紀州攻め・第二次木津川口の戦い・有岡城の戦い、そしてこの手取川の戦いと、第三次信長包囲網の真っただ中でした・・時系列でいけば次は松永久秀の戦いでしょうか??次回も楽しみにしています!
阿波野ではなくて波多野では?
上杉謙信が早くに上洛行動を起こしていたら、織田信長も敵わなかったかも❗今回も勉強になりました。ありがとうございました🎵
その考えはあまりにも無知過ぎない?
@@おぐら-q9u ほんとこれ。
@@おぐら-q9u 上杉謙信2回上洛してるのも知らないと思うよwこのレベルで勉強できる幸せな人なんでそっとしておいてあげましょう
@@chateaulatour77 めちゃくちゃいいこと言ってますね
めっちゃ分かりやすくて楽しかったです!
桶狭間の戦いもそうですが、敵の位置正確な位置の把握と迅速な行動が野戦の勝利を決定付けているように思います。武田勝頼も長篠の決戦前に家臣団の強さに奢らずに、織田軍の正確な布陣や数を確認していればあのような結果にはならなかったかも知れないですね。
手取川の名の由来は源平合戦のときに木曽義仲の兵が手を取り合って渡ったことからだと言われています。源平合戦にしろ手取川の戦いにしろ味方の統制を取れなかった方が負けており、協力して1つのことに立ち向かうことがいかに戦果に繋がるかを後世に残していますねちなみに、手取川と呼ばれる前の古名を石川といい、郡名と県名の由来にもなりました。手取川は、全長72kmにして、標高2702mの白山を水源とする日本有数の急流河川です。
なるほど。勉強になりました。
勉強になりました!
手取川という日本酒は美味しいです🤗
へえそうなんだ、勉強になりますわ。木曽義仲めちゃ大好き。
樋口(直江)兼続は木曽義仲四天王の樋口兼光の末裔と言われていますよね四天王の一方である樋口兼光・今井兼平兄弟は諏訪・金刺一族と言われていますし、他方の根井兄弟は滋野・海野一族(真田の本家)と言われているので、何か繋がりを感じます
素晴らしい!もはや毎週の番組として楽しみすぎる!NHKの番組より楽しみにしてる自分です・・・
謙信の強さは言わずもがなですが本気で上洛目指すなら居城を七尾城辺りに移すべきだと思いましたね。関東遠征もですが、毎度春日山城に戻っていたから盛り返されてる気がします。信玄も毎度躑躅ヶ崎館に戻っていたせいで上略より早く寿命を迎えた感ありますしね。領土拡張に合わせ居城を変えたことも信長の凄さだと思います。
まあ、それは信長だからこそ出来たもので、戦国時代の発想では無理だったのかもしれませんね。
>本気で上洛目指すなら居城を七尾城辺りに移すべき司馬遼太郎も書いていましたが、謙信は言葉とは裏腹に、本気で上洛を目指す気は最初から無かったと思います。
Ingrid1019 さん「手取川でボコボコにしたので信長は反省するだろう」と
信長は異例な方で居城を変えるのは当時はありえない行為だったと思います先祖の土地 そして謙信は春日山に毘沙門天のお堂がありましたから、春日山から居城を移すなんて発想は99.9%ないでしょうね
花井かずひさ さんなるほど、春日山には毘沙門堂がありましたね。現代人からすれば無駄行動ですが当時は信長ほどの逸材は少なかったと言うことですね。後思いつくのは伊達政宗ぐらいか。
待ってました!!!これこれ!!
手取川の水位は諸説ありますね。歴史古案では水量が多かったとされていますが、旧暦9月(現在の11月)なので水量が多くなかったという考え方もあるようですね。水量が少なくても、急流に変わりはなく、川底には大きな石がゴロゴロしているので歩きづらいようですね。(共にNHK 英雄たちの選択より)いずれにせよ、七尾城が落ちた情報を手に入れなれなかった柴田勝家の敗北でしょうね。
これを見ると第四次川中島の戦いでの武田家臣の討ち死にが痛すぎる。
信繁〜!
4回戦だけ損害多いから双方ともに不本意な戦だっただろうな後でまた川中島で対峙したけど本格的に戦って無いし
やっぱり、川を背後にしては戦えないのですね。軍神かっこいいです。軍神と魔王の直接対決も見たかったですね。
川が増水するタイミングも計算に入れての謙信公の進軍だったらしいです。軍神強すぎます。
謙信は軍神だけあって情報戦にも長けていた。戦場にあっては常に相手の動向を掴もうとし、逆に自分たちの動向は掴まれないようにした。七尾城をすでに落としたことを気付かれないように情報管理し、手取川を渡った情報をすばやく掴んで電光石火の如く襲いかかったのである。謙信は14歳で敵の城を落としたくらいの神童であり、恐るべき軍事的天才を持っていた。鋭敏な秀吉は現場で何かその不穏な空気を感じ取っていたのかもしれない。
時代は違うが川を背にして勝った韓信がどれだけ異常事態だったかが伺えるまぁアレは金床の役割を大将自らが務めた挟撃戦だったが
軍神 恐ろしや
直江兼続がついに登場しましたね最上義光との決戦が楽しみです
謙信の強さが分かりますね手取川の戦いの後謙信が織田の天下を止めると思われてましたね
さすがは、後に五大老になるだけの名家ですな。
五大老になれたのは完全に謙信が勢力を拡げたお陰ですね景勝は何もしていないので
この上杉謙信像は米沢の上杉神社にあるものですね数日前に見てきました
軍神、、流石
合戦の結果に到るまでの経緯にドラマ性があるので観てて楽しいです。
普段から武田信玄のような怪物と互角に戦っていたら柴田勝家クラスの武将でも手玉になってしまうのだろうまさしく軍神
秀吉って有能だなぁ。今いたら大企業の経営者とかになってるんだろうか
手取川の何度見ても動画面白いね! 俺はあの謙信公相手に正面から挑もうとした親父様を尊敬するわ。秀吉も、信長も勝家の真似出来んやろw
言えてる!俺が勝家なら秀吉の後を追って戦わず逃げている 。「謙信怖ーい😅」
🌸末⚡︎ク㊂🍯Ⅳ🇷🇪❺ス滝川一益23:35釘漬K🐒0:501573小谷城SIC💨ETC1:15一旦停止(勝興寺同宿中浅井湯前神)
軍神恐るべし!
強すぎ
幸村さん毎回楽しく見させてもらってます!かなり前に、動画の初めてのコメントしまして、「手取川の戦い」をリクエストした者です。まさかアップされるとは夢にも思ってませんでした。今回も非常に細かい部分が描けており、秀吉と勝家の人間関係で秀吉が帰るところまで 、この戦いの命運がどこにあるが分かりやすく、楽しく見させて頂きました。歴史好きの方でしたら幸村さんの動画は皆さん好むと思います。今後もお身体に気をつけて、楽しい動画をゆっくり作っていって欲しいです。ありがとうございました!
こんばんは!秀吉の勘というか詠みというか、後に天下を取る人物の才能なのでしょうか。鬼柴田も大した事ないと言い放った上杉謙信、正に越後の龍の異名が相応しいような台詞ですね!今回のも良かった~d(^-^)次回も楽しみにしてま~す😺🐾
稲生の戦いで信行を担いで信長に負けた手取川で秀吉の進言を無視した結果、上杉に負けた賤ヶ岳は言うまでもない単に柴田勝家が天下を取れる器でなかっただけじゃないのかな?
@@kinnginnrimeiku さんへ でも日本の約半分を支配した織田家の筆頭家老にはなったよ。
@@kinnginnrimeiku 悪いとこしか見てないだけやろ勝家は一向一揆を殲滅して上杉謙信亡き後の上杉を滅亡寸前まで追い詰めてるし、全然強い
@@ヤード-u2w しかしながら、この手取川の戦いは秀吉の進言を無視した勝家の判断ミスでしょ。
脳筋がトップに立つと碌なことにならないのは今も昔も変わらないな・・・。
上杉謙信のライバルとなる武田信玄の凄さもわかる
信玄、川中島ではほぼ奇襲に近い状況を許した上に数的に不利なのを別道隊が援軍に来るまで持ちこたえていますからね。
@@yuukimaifumika0319ゆうて13000VS15000だからな
使者として七尾城を抜け出していた長連龍が城に戻ったときに、一族の女子供まで残らず討ち取られていて、そこからあの信長がドン引きするくらいの復讐の鬼と化すんですよね。
長一族、よく知らんけどなんか思い入れあったから、今日少し知ってショック… 頑張ったのでもっと報われて欲しかった
@@memomumemo5443 ご本人は復讐を果たし70歳過ぎまで生きたようですから報われたのでは。
待ってました!
運は天にあり、鎧は胸にあり、手柄は足にあり!最強!!
はねる謙信、逃げるとぶ長(信長)の落首で有名ですよね。
実際には信長は本合戦に加わっていないため、厳密に言えば信長ではなく、織田軍の敗北といえます。
秀吉が頭が良いことがよく分かりました。あと、戦は情報ですね。信長が切腹までさせなかったのは分かる気がしますし、後に天下を取ったことが分かりますね。武田信玄、上杉謙信、二人とも織田信長を追い詰める手前だったので、天が信長の味方だったのですね。
仕様がなかったんだろうけど、上杉ももっと早く上洛軍を起こしていればなぁ。
一度上洛してからは、ずっと関東に目を向けてましたからね
@@killermonokura9251 関東管領だからね
微妙に天地人のキャスト入ってて良かった。懐かしかった。しかも直江家繋がりのみ。相変わらず素晴らしいクウォリティ。
さすが軍神上杉謙信信玄公にしろ謙信公にしろ、お互いが同盟を結んで強固な関係を築いていたら、信長も簡単には動けないでしょうね
信玄と謙信が手を組んで同盟をして織田に向かっていたらの気持ちは自分も同じ思いましたね!
@@YSくらげパパ 今川を喰って、三国同盟破棄になったので北條と敵対するのだから。いっそのこと対北條:対織田で組めばいいのかなと 信長の野望脳なワイは思います
信長は運がいい。虎と龍が信長を攻めた時に2人とも道半ばで死んでる。2人とも生きてたら信長は領土を半分取られてたかも知れない。
信玄と謙信の同盟とか最強すぎて草あの二人普通に仲良さそうやしなぁw
謙信は相手の背を付かないかったらしい。 その影響か景勝も関ケ原の戦いで家康を追わなかったらしいなんかカッコイイなー
景勝は家康をおったらその隙に会津に最上、伊達が攻め込んでくるから行けなかっただけでは
城攻めは苦手な謙信だが、野戦で彼に勝てる大名は存在しないだろう。信長は徹底的に強者との戦いを避けたことにより覇者になれた。
上杉謙信 これからって時に死んでしまったのは悲しすぎる。
まぁ人間50年の時代的におかしくない年齢ではあった年とっても大酒くらってたらそら寿命も縮む
俺は信長の忍による毒殺だったと考える。
@@takazaki1824酒+塩辛いものが大好きだったからね
毎回楽しみにしています!高評価です
ユキムラさん、お疲れ様です!さすが上杉ですねぇ、あの亡き武田信玄が、後押ししているみたいでしたヨ!でも不思議ですよねぇ、織田信長が恐れている、武田信玄や上杉謙信が、なんで戦わずして病に倒れるのか!もしどちらも織田信長と戦っていたら歴史は変わっていたでしょねぇ!www
1573年の西上では信長が負ける可能性が高いが、その他潰し合いで結局決着付かずと予想。
武田信玄 さんへ、ご返信ありがとうですヨ!
キタ━(゚∀゚)━!ありがとうございます🎵
なんと!めちゃめちゃ地元です😆
松任城って何処か?って?通学路だったなんて…ありがたいですねー
長連龍は、仇討ちへの思いが強すぎて、あの信長をドン引きさせた伝説の漢。そして、信長の死後に仇討ちを成し遂げてしまう執念。
一家全員遊佐と温井に皆殺しにされて唯一の生き残りとなってしまったし、仇討ちを絶対諦めないでしょうね。。何年かかっても執念で本懐を遂げたのは凄まじいです…
Yukimuraさん、お疲れ様っす。歴史の事は全く分かってないですが、マンガや動画で知識を増やしておるだけの輩なモゲラっす😄なんとなくの歴史の出来事、それなりに読んでいたマンガでの人物、ゲームやパチンコ(笑)で得た知識などくらいしか知らないのですが、やはりYUKIMURAさんの動画は分かりやすく面白いっすね~😋内容ももちろんですが…なんか我らのYUKIMURAさん(勝手に申しておる)が、こうも歴史好きの方たちから絶賛されておるってことが、なんか本当に嬉しいっす🙆自分の知識クラスですと、やはり人物の名前が覚えられないので(笑)誰がどこだ?ってなってしまうんですが、それでもここの視聴者の方、歴史に詳しい方たちからのコメント読ませてもらうと、改めてYUKIMURAさんすげ~な~って感じちゃいます🎵ただ、ちゃんとそれなりに理解して視聴してますからね~😄あっちでのYUKIMURAさんもお待ちしてますが、こちらでのご活躍も楽しみにしてますので、お身体にお気をつけてがんばってくださ~い🙋ではまた~✨
これだけの大勝利なのに、織田方の重臣に戦死者が居ない?出てこない人達が亡くなっているんでしょうけど川まで追い込まれるほどの負けっぷりなのに‥利家や成政も凄い人達なのかも‥
個人的見解ですけど、秀吉が撤退したように、各将たちは敗戦を予期したのでは?戦国時代、それも最も苛烈な信長軍で生き延びてきた将たちの一番大事な資質は直感的な危機察知能力であり、ヤバい時には安全確保ではないでしょうか。なので、死者が出なかったとか。
ざますなまず おお、納得です。「袋の鼠」に例えられた金ヶ崎も名だたる将は逃げ切ってますからね。
@@ざますなまず そもそも手取川で戦ってないという説もあります。逆に言うと勝った勝った、楽勝だったというにはちょっと裏付けがないんですよね。。。
@@chateaulatour77 謙信自身が勝ったと記した書状以外に記録がないんだっけこれだけの戦いが行われたなら複数記録が残っていても可笑しくないところにも関わらず後は信長も実は出陣してたとする記述もあるとか
七尾城の畠山(能登)と織田(加賀)と二方面に敵を抱えて謙信公の腹の括り方は尋常じゃないですね。加賀一向衆のおかげで畠山と織田の連絡線を断ち、織田の侵攻状況を把握していた点は大きいが並の武将なら越中まで撤退が定石。そして戦機と見れば大胆不敵な急速起動からの急襲。また前日までの雨で手取川の水量が増えており織田軍撤退の枷になるというね…。偶然といえば偶然なんだけど「天にまで愛されているか…」と…。「お見事!」の一言であり謙信公が軍神と云われる所以でしょうね。
上杉は城攻めは下手だったとも言われてますよね七尾城は堅城だし、実際耐えてればどうなるかわからなかったかも
誰だよ?低評価を押したのこんなにいい解説動画なのに
柴田勝家「ワシが押したのじゃ(怒」
妬みでしょ
柴田勝家殿でございましたか。秀吉殿のご無礼をお許しを
@@鉄道のファン 勝家「あの猿を許すわけなかろう!わしの方が優秀に決まっておる!殿に気に入られてるからって調子に乗りおって!」
@@鉄道のファン 笑
きたきたーーーー待ってたぜ。お疲れ様です。
結果論ですが織田信長は運に恵まれてますな。桶狭間といい信玄の時も謙信の時も。これが天命ということなのか・・・
天が選んだんですね(^^)
>織田信長は運に恵まれてます天下を取るまでの秀吉もそうですよ。逆に言えば、肝心かなめの場面で天運に恵まれないような武将は、天下を取り得ないという事でしょう。
信長も秀吉も情勢をしっかり確認して負けない戦いをしたからでしょうねもちろん運もあるでしょうが、情報のもと行動した結果 運も味方したってのが正しいようなきもします
いやいや、天が選んだのは家康です。
本能寺の変『・・・え?』
軍神つえー、、、
武田信玄と上杉謙信があと5年生きてたら全然違う日本になっていたんだろうな
上杉謙信さんカッコイイ!新潟の誇りですわ。神様仏様謙信様
ははは
新潟県人がうらやましいです。自分も謙信公の大ファンですが福岡にはパっとしたのがいない?謙信公の采配はとにかく美しい!中世の兵法の極地です。近代戦法の信長みたくガサツでない。
@@恒雄早麻
俺らには宗茂がいるじゃないか!
謙信の恐るべきはその機動力。まさに神速。
普通小田原から一足飛びに川中島とか無理だから・・・
謙信の情報統制は異常なほど。軒猿を使い、絶対に漏れないように徹底してた。戦場での怪しい人間は殺しまくる。そのため柴田軍は、偵察をことごとく殺されて、謙信がどこにいるのか、全く情報をつかんでいなかった。まさに謙信は第4次川中島の戦いでも徹底的に戦場での情報統制を敷いて、妻女山を下山後、居場所を信玄に気取られないようにしていたのと同じ。のちに本能寺の変を起こした明智光秀も本能寺への移動中、途中の怪しい百姓、村人は殺しまくっていた。あとは越後軍の機動力。と兵の強さ。おそらく、戦国史上、謙信率いる越後勢が一番強かったのではないだろうか。島津も強かったが。
逆にその機動力を利用したのが織田信長で
秀吉が柴田勝家と衝突して手取川の陣から帰って来た時も信長は謹慎させるフリをして東北の情勢を秀吉に探らせ(竹中半兵衛の病に効く薬草を探させる名目)その結果伊達輝宗と同盟を結んで背後から上杉謙信を攻めさせて機動力によって彼を越後に帰還させてます。
又信長は秀吉ルートで佐竹義重とも和睦して関東管領に反する北条氏政成敗を佐竹義重から上杉謙信に依頼させて上杉謙信の関心を対北条氏政に向けてます。
謙信も信玄もほんと凄い。
御実城様と謙信を呼んだりしてるの凄い嬉しい。
大河の影響で御館様と呼ばれる事が多いが実際は躑躅ヶ崎館を本拠とする信玄と違い、春日山城を本拠とする謙信が実城と呼ばれるのは必定。ここを史実に合わせてくれたのは嬉しい
上杉謙信公が一番好きです。
上杉謙信「皆の者、我の背を見失うなよ」
軍神格好良すぎだろ
かっこいい!
惚れちまう
鯰尾
動画のクオリティ、ストーリー性、キャラ設定どれも本当に素晴らしいです。どんどん面白くなっていて毎週楽しみです。こんなに作り込んでいて、よく続くな、と正直思います。感動です。ありがとうございます。
ありがとうございます。
財!在死亡給付するの洲増!3種とにスセシサス先!3台!しました✨座
上杉謙信とてもかっこよかったです!勉強になりました!✏️
謙信は嬉しすぎる!
こちらの動画の分かりやすさ、展開のドラマ性、クオリティ、どれをとっても素晴らしいの一言です。
冗談抜きで学校の分かりにくい教科書より、こちらの動画を教育に取り入れた方がよっぽど子供の為になると思います。
『毘沙門天が我に降りたり!皆の者、我の背を見失うなよ!全軍突撃じゃ!』
こんな格好いいセリフ聞いたら、兵の士気も上がるに決まってます。
戦術、戦略も超一流でセリフも超一流、軍神と呼ばれるわけですね。上杉謙信、涙が出る格好良さ!
信玄、謙信、秀吉、家康などの行末を見るに、いくさに強いのも大事だが「健康で長寿」こそ戦国大名にとって最も重要だな
その通りだと思います。信長が信玄や謙信と極力決戦をを避けていたのはビビっていたわけではなく田舎大名同足引っ張り合いしている間に寿命で死ぬからリスクを負って決戦する必要がなかっただけ。信玄は病気持ちだったし。謙信は近畿よりも関東だったし。
@@soleil-rk2bi
信長は、謙信にはびびってましたし、屏風を送ってご機嫌を取っていましたよ。
戦で強かったのは、圧倒的に謙信でしたからね。
あと、謙信は天下統一する意思はなかったと思います。
謙信の目的は、第一に越後を守ることでしたから、越後と隣接する可能性のある武田や織田と戦って撃退しただけです。
手取川の戦いの後に謙信は急死し、織田は越後まで攻めようとしましたが、魚津城の戦いで上杉が激闘して、最後に本能寺の変がおきて信長が死んだので織田軍は撤退していき、上杉家と越後を守ることができました。
上杉家は、江戸時代も続き、上杉鷹山が有名です。
信長亡き後の織田家は、嫡男の信忠も亡くなり、ずいぶん寂しくなりましたね。
秀吉から指示される立場になりましたから。
@@soleil-rk2bi 信長は信玄と謙信を恐れてましたよ。徳川は織田より更に信玄を恐れてましたけど…。まぁ信長にとって謙信と信玄が共闘しなかった事、共に寿命が早く尽きた事は何より幸運だったでしょう。第1次包囲網の際に謙信が織田領に攻め込んで、信玄の死が後5年遅ければ織田の領土がそのまま武田上杉の領土となっていたくらいでしょう。
家康は3人とは違うと思います!
長生きしたのご存知ですか?
@@九条菊華さん
対信玄には無策で散々な目に遭った信長も対謙信には用意周到で
佐竹義重や伊達輝宗と同盟を結んで北条氏政や武田勝頼、上杉謙信を牽制する「信長包囲網包囲網」を敷いてます。
ちなみに対毛利家には明智光秀経由で長宗我部氏と同盟し、宣教師経由で大友宗麟とも誼を通じてます。
実際伊達輝宗は手取川での上杉謙信軍勝利の翌日に越後へ進軍を開始、佐竹義重は上杉謙信に北条氏政の横暴を訴えて関東管領として全軍で叩いて貰うように要請して上杉謙信軍撤退に貢献してます。
謙信は常に8000人位の兵力で北条や武田、一向宗って自分の倍以上の兵力相手にしてましたから織田軍でも特に恐ろしい相手ではないどころか大軍で少数を潰す織田軍はやりやすい相手かもしれませんね。
特に北陸方面は信玄と義兄弟の顕如が本願寺宗主(1554~92)になってから永禄3年(1560)以降北陸一向一揆と武田が手を組み謙信の上洛阻止をしたのが謙信にとっては不幸でした。武田勝頼が衰退し、北陸に信長が進出した事により顕如は1576年に上杉謙信と同盟を結んだのは良かったと思います。
全て一向宗、上杉の動きは遅い。その遅さは全て中世室町思考から来る時代遅れにあったのだろう。
@@吉田昇-q3f 元々長尾時代は越中方面に出兵してたけど武田と一向一揆が組んで西進は困難と見たのも関東管領就任受けた一因だったのかねぇ
taka zaki様へ。ご返信ありがとうございます。北条氏康が顕如を介して加賀一向一揆との連携を呼びかけているのが、永禄3年(1560)7月、
武田信玄が顕如を介して越中一向一揆にとの連携を呼びかけているのが同年10月ですから、武田信玄が加賀越中一向一揆勢と正式に連携を組んだのはこの頃からですね。北条・武田両氏は顕如に承諾を得て加賀越中一揆が上杉と対立する越中の神保長職(謙信は当時松倉城主の椎名康胤を支援)を支援するように要請した訳です。
謙信は永禄2年(1559)4月から8月の2回目の京都上洛で将軍足利義輝から関東管領就任の問題を上杉憲政とよく相談するようにと許可をもらいました。また信濃国諸侍に対する意見をもらったのです。
これを受けて、同年10月から11月に上杉氏の越後国内の国人(家臣)や上杉氏信濃国人衆の高梨氏・村上氏だけでなく武田信濃国人衆の真田・市川・仁科・室賀・望月・根津・清野・屋代等の人間が謙信に対して祝儀の太刀を春日山までは持ってきました。
さらに永禄3年(1560)3月15日には関東の千葉氏や結城氏や正木氏等の多くの国人衆が謙信に祝儀の太刀を持ってきました。これは謙信は次期関東管領就任の為の祝儀の太刀だったと思われます。
なので、同年3月30日に神保長職が武田信玄とよしみを通じ上杉謙信の支援する椎名康胤との戦が始まり謙信は椎名氏を救援して神保氏に勝利をします。
そして同年5月19日に桶狭間の戦いで武田北条両氏と同盟を組む今川義元が織田信長に敗死するという衝撃的な出来事があり、武田北条今川の三国同盟はゆらぎます。謙信は安房国の里見氏から救援要請をうけ、同年8月下旬から北条氏康討伐の10か月に及ぶ関東遠征にでます。
要するに次期関東管領の上杉謙信に対して上杉氏の越後国内の家臣や信濃衆家臣だけでなく、武田氏の信濃衆家臣や関東の国人衆までもが関東管領就任への祝儀の太刀を持って来てるわけですから格式的に信玄や氏康より一段上になりましたし、あわよくば信濃国や関東地方の中央までその権威と武力を持って謙信が圧倒するわけです。
なので、武田信玄は使僧の長延寺実了を派遣してそうさせないために同盟者の北条氏康を巻き込んで顕如を介して越中加賀一向一揆との連携を強化して北陸方面から謙信を牽制したのです。それが永禄3年(1560)10月でした。
謙信が正式に関東管領に就任したのは永禄4年(1561)3月です。当初は関東管領の権威と古河公方の足利藤氏と関白・近衛前久を古河に置き睨みをきかせて関東平定しようとしました。
将軍義輝の承諾により謙信は関東管領職についたのです。武田氏が北陸一向一揆と連携したのは謙信の関東信濃平定と上洛を阻止するため北陸方面からも謙信を牽制しようとして身動きをとれなくした体制をつくりあげたのでした。
@@吉田昇-q3f なるほど してみると謙信が成田氏相手に「何馬上から礼してるの?ナメてんの?(意訳)」やらかしたのは
武田北条からしたら「何やってんの長尾www(信玄は終生謙信を長尾呼びしてたという話あり)」と失笑モノだったのかも
プライド高い謙信だけに色々と引っ込みがつかなくなったところはあったかもしれませんね
流石上杉謙信、これこそが上杉の戦!
柴田は秀吉を手元に残してればここまで手痛い負けはしなくてすんだものを…
謙信、あと少し生きてたらなぁ
信玄、あと少し生きてたらなぁ
信長、あと少し生きてたらなぁ
同感です。
ワシあと少し生きてたらなぁ
@@user-yt2dw6l
悲しきかな
秀吉、ブラック経営者の跡目乗っ取ったけど、もうだいぶ疲れた、戦争!貴族!黄金!花見!戦争!淀君!ムハー淀君かわいいよムハー、戦争!朝廷!花見!よどぎ
家康、鷹狩、一汁一菜、漢方ペロペロ、鷹狩、一汁一菜、漢方ペロペロ
aa MM
←これが漫画の誇張された戦国時代しか知らない日本人です
上杉謙信強すぎるわ
最強
正に軍神!謙信強すぎ。
それでも俺は親父様 柴田権六勝家が大好きだっ!!
毎回ありがとうございますっ!!
信長の死後、柴田と秀吉が対決したとき柴田配下の前田利家が秀吉側に寝返り戦の最中にもかかわらず勝手に撤退してしまうことで柴田軍は総崩れになってしまう。
勝家は敗れて北の庄に落ち延びる途中、前田利家の城に立ち寄るのだが、恨み言など一切言わず、「これからは秀吉のもとで頑張れ」と言って去っていったそうだ。
歴史系RUclipsで一番面白いしわかりやすい。これからも楽しみにしています。
ここでの兵力差は長篠の戦いのそれに近いんだよな。これだけの差があっても上杉軍は織田軍に勝ったし、同じような事を勝頼も狙っていたんだろうと思う。
長篠の戦では長篠城救援隊(酒井忠次隊)の動静をつかんでいない等、勝頼は戦場のコントロールに失敗しています。それに対して手取川の謙信は一向宗との連携など情報、地の利などを完全に掌握したうえで寡兵ながらも勝てると判断して勝負に出ていますね。七尾城内の内紛も謙信と取引できるという信用があって調略に成功している。謙信と言えば戦術ばかりが評価されがちですが戦略もしっかりしている。
とてもわかりやすくて良い動画です。エンデイングのbgmも素敵ですね、激動する時代の中に消えて行った人々への哀愁の想いが込みあげてきます。
織田四天王がこれだけ揃っていても、謙信には無問題だもん、凄いわ…
謙信は人間離れし過ぎですよね...
謙信に限っては戦は数が全てじゃないと思うわ
まるで項羽の生まれ変わりだな
軍神ヤベえ
上杉謙信の戦闘能力も凄いですが、そこに至るまでの諜略と情報戦と準備周到なところも凄いところだと思います。歴史にもしは禁句ですが、秀吉が織田軍の総大将ならどうだったのかと想像したくなりますね!
@織田大和守敏定
手取川の戦いに関する、下間頼廉の書状が残っています。
秀吉・勝家の意見の対立がめちゃくちゃ分かりやすく描かれていて、さすがユキムラさんです。しかも説明的でなくて話としても 面白く展開しているので、見入ってしまいます。ぶっちゃけ某番組より面白い…
それにしても、信長家臣団に亀裂が入っていくのがたまらなく辛い。これも戦国の世の倣いか…
信長様が総大将だったら、また違った結果になったのかなぁ
謙信もあと10年長生きしてたら歴史は変わったんだろうな、っていう重要人物やな
酒と高血圧が悪かったか、、、
確か💩プリプリしてる最中に死んだんだっけ?
@@森-c9p 婦人病が死因とする資料もあって謙信女性説に一役買っている
関東平らげられないくらいじゃ地方の一戦国大名止まり。謙信が長生きしても歴史は変わらないと思う。
@@touasuppix9880わろた。上杉謙信は領土に興味はなかった。戦なら武田と同様最強。寿命が強かったのは家康かぁ😂😂
それにしても、武田信玄、上杉謙信という二大巨頭が相次いで倒れるという織田信長の運の強さ。しかし、三度目の正直はありませんでした。
長連龍さんって地味やけど凄く優秀な武将らしいですよね。
後に前田家の家老になってるみたいですし。
前田利家が、信頼できる武将として名を挙げていたそうです。
手取川の戦いありがとうございました!とってもわかりやすく、勉強になりました!ありがとうございました!いつも楽しく見させてもらってます!
やはり鬼より竜のほうがもっと恐ろしい存在。
というか、魔王から変身する竜もいますからね。ラスボス最終形態みたいな。
いつもワクワクする動画ありがとうございます😆
素晴らしいありがとうございました。
謙信は戦国最強な感じかな
北条まで進軍するは、柴田は蹴散らすわ、大将の力も大事やね
僕は織田かな
@@地獄の番人の死神 信長は負けない勝負を作るのがうまかったんだよね、桶狭間以外の戦は博打を打つようなことはしなかったらしい
謙信は勝てない勝負も勝てるような軍略を持ってたと思うから大名としては信長の方が優秀だけど軍の大将としては謙信の方が優秀かなって思う
@@ブラックジャック髙橋 僕も同感です。
ですが、運も実力のうちという言葉を考えると信長はかなり強運という実力を持ってますよね。最後は尽きた感がありますが。
直江兼続が、露骨に妻夫木聡で草
直江信綱も天地人からでしたね!
@@トリエモンズ そうですね
機械音声と静止画だけでここまでドラマチックな物語作れる構成力は凄い
七尾城を三ヶ月で落とせなかったのではなく、織田との決戦を望む謙信があえて墜とさずに難攻不落のイメージを織田信長に植え付けたという策だったそうです。
手取川を越えて数日で七尾城を落としています。
成る程、織田軍は七尾城健在と思い込み手取川を超えたが、その直後落城を知り慌てて引き返す所を上杉軍に背後をつかれ、大雨で増水した手取川に飲みこまれた。織田軍の鉄砲も雨で機能せず😢一抜けで逃げた秀吉は賢い。
後の天下人秀吉、本能的に勝ち目がないと感じていたのか。
謙信以外の敵ならば、攻め登ったことでしょう。
戦国最強武将、上杉謙信恐るべし!
手取川の戦前に、柴田勝家と喧嘩して軍を引いたのは、本当は謙信が怖かったからでないの?
完璧な動画ですし感謝です!
いつもありがとうございます、そしてお疲れ様です
織田家の戦いは面白い!
来週も楽しみにしています!!
構図としては長篠の戦いのようだけどけっして武田勝頼のようにはならないのが謙信、さすがです、胸がすくわれる。
軍神謙信が、早い時期に北陸を攻上れていれば、織田はとうに亡んだ可能性もある。そう思うと、信玄と謙信という戦国最大の実力者同士が互いに牽制し合い天命が尽きたというのは、まさに運命の皮肉としか思えない。
でも本能寺の変なければ、ほぼ確実に上杉は滅亡してたから、色々な事がその時代に各地であればこそ歴史は面白いのだ!
彼は義の戦士だからね。領土を広げる欲があれば関東、北陸等全て滅ぼされてたかも。
@@武田信玄-f9m 某氏が新潟の講演会にて曰く、武田信玄こそは戦国最強の武将、何故なら、軍神上杉謙信とガチ勝負出来たから
@@aamm11111 武田の幹部が多数戦死した八幡原の決戦で上杉軍の数がもっと多ければ壊滅してた可能性もあるね。それほど謙信軍は強い。謙信が加賀に進行時、もはや当時敵無し状態の信長が慌てて秀吉ら幹部連中を北陸に集結させたほどだからねw
@@武田信玄-f9m 集めた精鋭の幹部連中が仲違いして士気崩壊するあたりSLGにはない部分だよね
上杉謙信
惜しい漢よの…。
謙信の凄さは、勝機とみるや素早い進軍で相手本軍を一気に攻撃し撃滅することにある。そのため、充分に訓練された1.5万程度の謙信直轄軍を常用した。
関東での戦でもいくつかそのような場面があった。川中島もそうでしたね。ただ、武田軍は織田軍と違い、有力武将を討ち取られてもその場にとどまる頑強さがあった。織田軍は、瞬時に粉砕されて一斉に逃げ帰っている。
また、謙信は諜報作戦を重要視している。敵軍の動きを素早く察知し、さらに敵諜報網を破壊する役目を担っていたと思われる。
今週も楽しませていただきました。
上杉謙信は新潟県の誇りです✨
今度、春日山城跡に行こうと思います。
僕も大好きです。義がありますよね。
利の時代に、弱気ものを守るため、正義の為に生涯戦い続けた彼は新潟県、日本の誇りです。
富山には独立した大名もいない上、上杉、織田の草刈り場だから何か羨ましいな
富山県人より
@@紀墓林
神保長織「解せぬ」
私は長家筆頭家老を務め、長連龍様に随伴し織田家に救援を求めにいった者の末裔です。大変ためになる映像、ありがたいことです
三方原
信長「攻めるなよ?攻めるなよ!」
家康「おうっ!」
手取川
信長「攻めるなよ?攻めるなよ!」
勝家「おうっ!」
一向宗本願寺
信長「攻めるなよ?攻めるなよ!」
信盛「おうっ!」
↓
ほんとに攻めずに10年経過。
これを叱責され追放。
なお、言い付けを守らなかった家康、勝家はお咎めなし。
(´Д`;) 信長様の配下の衆はあれやこれやと大変じゃ。。。。
おぐら
いやさすがに10年は草
しかも謙信や信玄と違って怨敵本願寺に限って。
@@話ズ
ネタとしてコメントしましたが、貴方が指摘されたように、信長の意を汲み取れなかったのがダメでしたね。
元々、本願寺攻めは一向宗本山である本願寺には10万余の信者がおり、戦える者が5万はいたようです。
なので、信長自身も無理に攻めず補給路を断つ兵糧攻めにしました。
その為、本願寺降伏には5〜6年は必要だと考えておりました。
ただ、色々と事情が変わるわけです。
毛利、宇喜田、松永、一向宗、上杉の第二次信長包囲網の結成
↓
毛利が大阪湾から補給を行う
↓
九鬼水軍が毛利(村上)水軍を撃ちに向かうも惨敗
↓
丹羽長秀等が鉄鋼船の造船に着手
↓
再び九鬼水軍が向かい、毛利水軍を潰す
↓
補給を絶ち、また、秀吉が宇喜田の調略に成功する。
そして、姫路に移り毛利を牽制。
↓
本願寺は完全に後ろ楯を失い降伏
つまり、佐久間信盛は本願寺攻めの最前線にはいたけど、何をしたの?って話です。
10年の間、ただ寺を囲ってただけ。
信長「そういえば、昔は信行の謀反に加担したな〜…朝倉の一乗谷追撃を見逃したな〜…」と、色々と追加の責めを受けて追放でした。
柴田は確かに手取川で惨敗しましたが、加賀一揆を上手く潰していました。
意図がある失敗は弁明の余地を与えるが、無為に時間を浪費することは信長の意ではなかったのでしょう。
まあ、信盛は信盛で安土城の建築もなり、右大臣になろうとする信長の威光があれば降伏するしかない。
何か手を打つ必要はないと考えていたようですが、、
今回も楽しかったです。みていてワクワクする構成、音楽の使い方、面白かったです。Goodボタンポチりました。
素晴らしい
リクエストした甲斐があった
信玄の謙信に対する評価
「太刀においては日本無双の名大将」
この戦いで証明されたと思う。
鬼柴田も大したことないのぅ、、、
なんて軍神様しか言葉にできない一言で笑った
軍神謙信公、恐るべし…
本当に面白いです!
この頃信長は『荒木村重』・『松永久秀』・『阿波野兄弟』・『別所長治』といった一時は信長に従っていた武将たちと対峙していましたからね。その間には第一次木津川口の戦い・信貴山城の戦い・紀州攻め・第二次木津川口の戦い・有岡城の戦い、そしてこの手取川の戦いと、第三次信長包囲網の真っただ中でした・・時系列でいけば次は松永久秀の戦いでしょうか??次回も楽しみにしています!
阿波野ではなくて波多野では?
上杉謙信が早くに上洛行動を起こしていたら、織田信長も敵わなかったかも❗今回も勉強になりました。ありがとうございました🎵
その考えはあまりにも無知過ぎない?
@@おぐら-q9u ほんとこれ。
@@おぐら-q9u 上杉謙信2回上洛してるのも知らないと思うよw
このレベルで勉強できる幸せな人なんでそっとしておいてあげましょう
@@chateaulatour77 めちゃくちゃいいこと言ってますね
めっちゃ分かりやすくて楽しかったです!
桶狭間の戦いもそうですが、敵の位置正確な位置の把握と迅速な行動が野戦の勝利を決定付けているように思います。武田勝頼も長篠の決戦前に家臣団の強さに奢らずに、織田軍の正確な布陣や数を確認していればあのような結果にはならなかったかも知れないですね。
手取川の名の由来は源平合戦のときに木曽義仲
の兵が手を取り合って渡ったことからだと
言われています。源平合戦にしろ手取川の戦い
にしろ味方の統制を取れなかった方が負けて
おり、協力して1つのことに立ち向かうことが
いかに戦果に繋がるかを後世に残していますね
ちなみに、手取川と呼ばれる前の古名を石川と
いい、郡名と県名の由来にもなりました。
手取川は、全長72kmにして、標高2702mの
白山を水源とする日本有数の急流河川です。
なるほど。勉強になりました。
勉強になりました!
手取川という日本酒は美味しいです🤗
へえそうなんだ、勉強になりますわ。木曽義仲めちゃ大好き。
樋口(直江)兼続は木曽義仲四天王の樋口兼光の末裔と言われていますよね
四天王の一方である樋口兼光・今井兼平兄弟は諏訪・金刺一族と言われていますし、他方の根井兄弟は滋野・海野一族(真田の本家)と言われているので、何か繋がりを感じます
素晴らしい!もはや毎週の番組として楽しみすぎる!NHKの番組より楽しみにしてる自分です・・・
謙信の強さは言わずもがなですが本気で上洛目指すなら居城を七尾城辺りに移すべきだと思いましたね。
関東遠征もですが、毎度春日山城に戻っていたから盛り返されてる気がします。
信玄も毎度躑躅ヶ崎館に戻っていたせいで上略より早く寿命を迎えた感ありますしね。
領土拡張に合わせ居城を変えたことも信長の凄さだと思います。
まあ、それは信長だからこそ出来たもので、戦国時代の発想では無理だったのかもしれませんね。
>本気で上洛目指すなら居城を七尾城辺りに移すべき
司馬遼太郎も書いていましたが、謙信は言葉とは裏腹に、本気で上洛を目指す気は最初から無かったと思います。
Ingrid1019 さん
「手取川でボコボコにしたので信長は反省するだろう」と
信長は異例な方で居城を変えるのは当時はありえない行為だったと思います
先祖の土地 そして謙信は春日山に毘沙門天のお堂がありましたから、春日山から居城を移すなんて発想は99.9%ないでしょうね
花井かずひさ さん
なるほど、春日山には毘沙門堂がありましたね。
現代人からすれば無駄行動ですが当時は信長ほどの逸材は少なかったと言うことですね。後思いつくのは伊達政宗ぐらいか。
待ってました!!!これこれ!!
手取川の水位は諸説ありますね。
歴史古案では水量が多かったとされていますが、旧暦9月(現在の11月)なので水量が多くなかったという考え方もあるようですね。
水量が少なくても、急流に変わりはなく、川底には大きな石がゴロゴロしているので歩きづらいようですね。
(共にNHK 英雄たちの選択より)
いずれにせよ、七尾城が落ちた情報を手に入れなれなかった柴田勝家の敗北でしょうね。
これを見ると第四次川中島の戦いでの武田家臣の討ち死にが痛すぎる。
信繁〜!
4回戦だけ損害多いから双方ともに不本意な戦だっただろうな
後でまた川中島で対峙したけど本格的に戦って無いし
やっぱり、川を背後にしては戦えないのですね。
軍神かっこいいです。軍神と魔王の直接対決も見たかったですね。
川が増水するタイミングも計算に入れての謙信公の進軍だったらしいです。軍神強すぎます。
謙信は軍神だけあって情報戦にも長けていた。
戦場にあっては常に相手の動向を掴もうとし、逆に自分たちの動向は掴まれないようにした。
七尾城をすでに落としたことを気付かれないように情報管理し、手取川を渡った情報をすばやく掴んで電光石火の如く襲いかかったのである。
謙信は14歳で敵の城を落としたくらいの神童であり、恐るべき軍事的天才を持っていた。
鋭敏な秀吉は現場で何かその不穏な空気を感じ取っていたのかもしれない。
時代は違うが川を背にして勝った韓信がどれだけ異常事態だったかが伺える
まぁアレは金床の役割を大将自らが務めた挟撃戦だったが
軍神 恐ろしや
直江兼続がついに登場しましたね
最上義光との決戦が楽しみです
謙信の強さが分かりますね
手取川の戦いの後謙信が織田の天下を止めると思われてましたね
さすがは、後に五大老になるだけの名家ですな。
五大老になれたのは完全に謙信が勢力を拡げたお陰ですね
景勝は何もしていないので
この上杉謙信像は米沢の上杉神社にあるものですね
数日前に見てきました
軍神、、流石
合戦の結果に到るまでの経緯にドラマ性があるので観てて楽しいです。
普段から武田信玄のような怪物と互角に戦っていたら柴田勝家クラスの武将でも手玉になってしまうのだろう
まさしく軍神
秀吉って有能だなぁ。今いたら大企業の経営者とかになってるんだろうか
手取川の何度見ても動画面白いね! 俺はあの謙信公相手に正面から挑もうとした親父様を尊敬するわ。秀吉も、信長も勝家の真似出来んやろw
言えてる!俺が勝家なら秀吉の後を追って戦わず逃げている 。「謙信怖ーい😅」
🌸末⚡︎ク㊂🍯Ⅳ🇷🇪❺ス滝川一益23:35釘漬K🐒0:501573小谷城SIC💨ETC1:15一旦停止(勝興寺同宿中浅井湯前神)
軍神恐るべし!
強すぎ
幸村さん毎回楽しく見させてもらってます!
かなり前に、
動画の初めてのコメントしまして、「手取川の戦い」をリクエストした者です。
まさかアップされるとは夢にも思ってませんでした。
今回も非常に細かい部分が描けており、秀吉と勝家の人間関係で秀吉が帰るところまで 、この戦いの命運がどこにあるが分かりやすく、楽しく見させて頂きました。
歴史好きの方でしたら幸村さんの動画は皆さん好むと思います。
今後もお身体に気をつけて、
楽しい動画をゆっくり作っていって欲しいです。
ありがとうございました!
こんばんは!
秀吉の勘というか詠みというか、後に天下を取る人物の才能なのでしょうか。
鬼柴田も大した事ないと言い放った上杉謙信、正に越後の龍の異名が相応しいような台詞ですね!
今回のも良かった~d(^-^)
次回も楽しみにしてま~す😺🐾
稲生の戦いで信行を担いで信長に負けた
手取川で秀吉の進言を無視した結果、上杉に負けた
賤ヶ岳は言うまでもない
単に柴田勝家が天下を取れる器でなかっただけじゃないのかな?
@@kinnginnrimeiku さんへ でも日本の約半分を支配した織田家の筆頭家老にはなったよ。
@@kinnginnrimeiku 悪いとこしか見てないだけやろ
勝家は一向一揆を殲滅して上杉謙信亡き後の上杉を滅亡寸前まで追い詰めてるし、全然強い
@@ヤード-u2w しかしながら、この手取川の戦いは秀吉の進言を無視した勝家の判断ミスでしょ。
脳筋がトップに立つと碌なことにならないのは今も昔も変わらないな・・・。
上杉謙信のライバルとなる武田信玄の凄さもわかる
信玄、川中島ではほぼ奇襲に近い状況を許した上に数的に不利なのを別道隊が援軍に来るまで持ちこたえていますからね。
@@yuukimaifumika0319ゆうて13000VS15000だからな
使者として七尾城を抜け出していた長連龍が城に戻ったときに、一族の女子供まで残らず討ち取られていて、そこからあの信長がドン引きするくらいの復讐の鬼と化すんですよね。
長一族、よく知らんけどなんか思い入れあったから、
今日少し知ってショック… 頑張ったのでもっと報われて欲しかった
@@memomumemo5443
ご本人は復讐を果たし70歳過ぎまで生きたようですから報われたのでは。
待ってました!
運は天にあり、鎧は胸にあり、手柄は足にあり!最強!!
はねる謙信、逃げるとぶ長(信長)の落首で有名ですよね。
実際には信長は本合戦に加わっていないため、厳密に言えば信長ではなく、織田軍の敗北といえます。
秀吉が頭が良いことがよく分かりました。あと、戦は情報ですね。信長が切腹までさせなかったのは分かる気がしますし、後に天下を取ったことが分かりますね。武田信玄、上杉謙信、二人とも織田信長を追い詰める手前だったので、天が信長の味方だったのですね。
仕様がなかったんだろうけど、上杉ももっと早く上洛軍を起こしていればなぁ。
一度上洛してからは、ずっと関東に目を向けてましたからね
@@killermonokura9251 関東管領だからね
微妙に天地人のキャスト入ってて良かった。懐かしかった。しかも直江家繋がりのみ。相変わらず素晴らしいクウォリティ。
さすが軍神上杉謙信
信玄公にしろ謙信公にしろ、お互いが同盟を結んで強固な関係を築いていたら、信長も簡単には動けないでしょうね
信玄と謙信が手を組んで同盟をして織田に向かっていたらの気持ちは自分も同じ思いましたね!
@@YSくらげパパ 今川を喰って、三国同盟破棄になったので北條と敵対するのだから。
いっそのこと対北條:対織田で組めばいいのかなと 信長の野望脳なワイは思います
信長は運がいい。虎と龍が信長を攻めた時に2人とも道半ばで死んでる。
2人とも生きてたら信長は領土を半分取られてたかも知れない。
信玄と謙信の同盟とか最強すぎて草あの二人普通に仲良さそうやしなぁw
謙信は相手の背を付かないかったらしい。 その影響か景勝も関ケ原の戦いで家康を追わなかったらしいなんかカッコイイなー
景勝は家康をおったらその隙に会津に最上、伊達が攻め込んでくるから行けなかっただけでは
城攻めは苦手な謙信だが、野戦で彼に勝てる大名は存在しないだろう。信長は徹底的に強者との戦いを避けたことにより覇者になれた。
上杉謙信 これからって時に死んでしまったのは悲しすぎる。
まぁ人間50年の時代的におかしくない年齢ではあった
年とっても大酒くらってたらそら寿命も縮む
俺は信長の忍による毒殺だったと考える。
@@takazaki1824酒+塩辛いものが大好きだったからね
毎回楽しみにしています!高評価です
ユキムラさん、お疲れ様です!さすが上杉ですねぇ、あの亡き武田信玄が、後押ししているみたいでしたヨ!でも不思議ですよねぇ、織田信長が恐れている、武田信玄や上杉謙信が、なんで戦わずして病に倒れるのか!もしどちらも織田信長と戦っていたら歴史は変わっていたでしょねぇ!www
1573年の西上では信長が負ける可能性が高いが、その他潰し合いで結局決着付かずと予想。
武田信玄 さんへ、ご返信ありがとうですヨ!
キタ━(゚∀゚)━!ありがとうございます🎵
なんと!
めちゃめちゃ地元です😆
松任城って何処か?って?
通学路だったなんて…ありがたいですねー
長連龍は、仇討ちへの思いが強すぎて、あの信長をドン引きさせた伝説の漢。そして、信長の死後に仇討ちを成し遂げてしまう執念。
一家全員遊佐と温井に皆殺しにされて唯一の生き残りとなってしまったし、仇討ちを絶対諦めないでしょうね。。
何年かかっても執念で本懐を遂げたのは凄まじいです…
Yukimuraさん、お疲れ様っす。
歴史の事は全く分かってないですが、マンガや動画で知識を増やしておるだけの輩なモゲラっす😄
なんとなくの歴史の出来事、それなりに読んでいたマンガでの人物、ゲームやパチンコ(笑)で得た知識などくらいしか知らないのですが、やはりYUKIMURAさんの動画は分かりやすく面白いっすね~😋
内容ももちろんですが…
なんか我らのYUKIMURAさん(勝手に申しておる)が、こうも歴史好きの方たちから絶賛されておるってことが、なんか本当に嬉しいっす🙆
自分の知識クラスですと、やはり人物の名前が覚えられないので(笑)誰がどこだ?ってなってしまうんですが、それでもここの視聴者の方、歴史に詳しい方たちからのコメント読ませてもらうと、改めてYUKIMURAさんすげ~な~って感じちゃいます🎵
ただ、ちゃんとそれなりに理解して視聴してますからね~😄
あっちでのYUKIMURAさんもお待ちしてますが、こちらでのご活躍も楽しみにしてますので、お身体にお気をつけてがんばってくださ~い🙋
ではまた~✨
これだけの大勝利なのに、織田方の重臣に戦死者が居ない?出てこない人達が亡くなっているんでしょうけど川まで追い込まれるほどの負けっぷりなのに‥
利家や成政も凄い人達なのかも‥
個人的見解ですけど、秀吉が撤退したように、各将たちは敗戦を予期したのでは?
戦国時代、それも最も苛烈な信長軍で生き延びてきた将たちの一番大事な資質は直感的な危機察知能力であり、ヤバい時には安全確保ではないでしょうか。
なので、死者が出なかったとか。
ざますなまず
おお、納得です。「袋の鼠」に例えられた金ヶ崎も名だたる将は逃げ切ってますからね。
@@ざますなまず そもそも手取川で戦ってないという説もあります。
逆に言うと勝った勝った、楽勝だったというにはちょっと裏付けがないんですよね。。。
@@chateaulatour77
謙信自身が勝ったと記した書状以外に記録がないんだっけ
これだけの戦いが行われたなら複数記録が残っていても可笑しくないところにも関わらず
後は信長も実は出陣してたとする記述もあるとか
七尾城の畠山(能登)と織田(加賀)と二方面に敵を抱えて謙信公の腹の括り方は尋常じゃないですね。
加賀一向衆のおかげで畠山と織田の連絡線を断ち、織田の侵攻状況を把握していた点は大きいが並の武将なら越中まで撤退が定石。
そして戦機と見れば大胆不敵な急速起動からの急襲。また前日までの雨で手取川の水量が増えており織田軍撤退の枷になるというね…。偶然といえば偶然なんだけど「天にまで愛されているか…」と…。
「お見事!」の一言であり謙信公が軍神と云われる所以でしょうね。
上杉は城攻めは下手だったとも言われてますよね
七尾城は堅城だし、実際耐えてればどうなるかわからなかったかも
誰だよ?低評価を押したの
こんなにいい解説動画なのに
柴田勝家「ワシが押したのじゃ(怒」
妬みでしょ
柴田勝家殿でございましたか。
秀吉殿のご無礼をお許しを
@@鉄道のファン 勝家「あの猿を許すわけなかろう!わしの方が優秀に決まっておる!殿に気に入られてるからって調子に乗りおって!」
@@鉄道のファン 笑
きたきたーーーー待ってたぜ。お疲れ様です。
結果論ですが織田信長は運に恵まれてますな。桶狭間といい信玄の時も謙信の時も。
これが天命ということなのか・・・
天が選んだんですね(^^)
>織田信長は運に恵まれてます
天下を取るまでの秀吉もそうですよ。逆に言えば、肝心かなめの場面で天運に恵まれないような武将は、天下を取り得ないという事でしょう。
信長も秀吉も情勢をしっかり確認して負けない戦いをしたからでしょうね
もちろん運もあるでしょうが、情報のもと行動した結果 運も味方したってのが正しいようなきもします
いやいや、天が選んだのは家康です。
本能寺の変『・・・え?』
軍神つえー、、、
武田信玄と上杉謙信があと5年生きてたら全然違う日本になっていたんだろうな